第15話「希望と絶望」
研究所から一度、コルム大陸管理局本部に寄ったレインがイダーの町に到着したのは、イブリースの手紙を見た翌日だった。ティアから渡された地図をたよりにしてイダーの町を歩き回り、小一時間ほどで目的の宿屋を見つけることが出来た。宿屋に入ると、従業員に部屋の番号を確認する。幸い、彼はまだこの宿に滞在しているようだった。
部屋の前について、一つ深呼吸。カリオンとはアルサルを通じて何度か面識があるが、直接話したことはほとんどない。さらに、ティアから聞いた情報によれば、彼は大事な恋人を亡くしたばかりで憔悴しているという。そんな彼の協力を得るのが容易でないことは、想像に難くない。
だが、それでもやらねばならない。イブリースが残してくれた手掛かりを、無駄にするわけにはいかない。そして、その手掛かりを得るためには、どうしても彼の力が必要だった。
「カリオン君。以前に何度か会ったレインという者です。お願いしたいことがあるの、ここを開けて」
控えめなノックと共に挨拶をする。だが、中からは何の反応もない。
「カリオン君! お願い、ここを開けて!」
先程より少し強めにノックする。だが、依然として反応はなかった。
「あなたの力が必要なの! 話を聞いて!」
扉の前で叫ぶレインに、周囲の客が何事かといぶかしげな視線を向ける。レインはそれに構わず呼びかけ続けた。
「あなたが今、大変なのはわかってる! でも、どうしてもあなたが必要なの! お願い、ここを開けて!」
さらに二度、扉を強く叩く。それでも、扉の向こうからは何の返答も返ってこなかった。
やはり、無理だったのかもしれない。よろよろと扉の前から離れ、背後の壁によりかかった。
思えば、イブリースの死から立ち直るのに、自分は一週間の時間を要した。いや、正確に言えば、立ち直ったのもイブリースの手紙がきっかけであって、自分の力で立ち直ったわけではない。片思いだった自分でさえそうなのだ。お互いに想いを寄せていた恋人の死。それから立ち直るのには、一体どのくらいの年月が必要なのだろう。まして、彼はわずか15歳の少年なのだ。
諦めたほうがいいかもしれない。レインの中にそんな気持ちが芽生える。だが、彼なしで遺跡を探索できるのか。もし、イブリースの言うように、遺跡に危険が潜んでいるとしたら。自分一人で、その危険に立ち向かうことが出来るのか。
情けない。悔しい。何も出来ない、無力な自分が。
「……なんで泣いてんの?」
その時、不意に、レインに質問が投げかけられた。
はっとして、顔を上げる。いつの間にか扉は開かれていて、その前には一人の少年が立っていた。逆立てた赤髪。射抜くような、強い意志を感じさせる瞳。その両手には、巨大なごみ袋を抱えていた。
「片付けに手間取って……出るのが遅れたのは謝るけど、何も泣かなくても……」
少年―カリオンに指摘されて、レインは初めて自分の目から大粒の涙がこぼれているのに気がついた。
「ち、違うの! これは……!」
急に恥ずかしさがこみ上げてきて、慌てて涙を拭きながら弁解する。しかし、カリオンは興味ない、といった様子で肩をすくめた。
「あの、それでね、私は……」
「レインだろ。昨日、ティアさんから連絡は受けてる」
カリオンはそう言うと、巨大な二つのごみ袋を右肩に下げた。
「詳しい事情は行きながら聞く。時間もあまりないみたいだしな」
そうぶっきらぼうに言い残して、さっさと先に行ってしまう。レインはその背中を半ば呆然と見つめた。
カリオンの背丈はレインとほぼ同じか、あるいは少し低いくらいかもしれない。だが、先を行く彼の背中は、とても大きく見えた。
彼となら、いけるかもしれない。
頼りになる味方を手に入れたことを実感しながら、レインはカリオンの後を追って歩き始めた。
アルサル達に周囲を取り囲まれた真紅の騎士が、ゆっくりと5人を見渡す。そこに、焦りの色は全く見られなかった。単なる強がりなのか、あるいは……。
「何故、私がここに来るとわかっていた?」
振り返り、背後にいるアルサルに尋ねる。
「お前達が管理局に潜り込ませていたスパイをティアさんがいぶりだした。そして、そのスパイを使って、逆にお前達の動きを調べた。首謀者の名前まではわからなかったが、少なくともお前が誰かと手を組んでいることまではわかっている」
「なるほど……それで、昨日のうちにソロンと合流し、一芝居打ったわけか。一日で考えたにしては、なかなか上出来な作戦だな?」
感心しているのか、バカにしているのかわからない口調で真紅の騎士が告げる。アルサルはそれには答えず、眉をひそめて尋ねた。
「随分と余裕だな。5人を相手に勝ち目があるとでも思っているのか?」
アルサルが一歩前に踏み出す。敵の剣がわずかに届かない絶妙のポジションだ。
「いくら私でも、5人を一度に相手にするのは不可能だ」
意外にも、あっさりと負けを認める。だが、それにもかかわらず、彼の言葉からは依然として焦りの色は感じられなかった。
「なら、おとなしく降参するんだな。そうすれば、命まではとらない」
「その台詞は時期尚早というものだ、アルサル。5人を一度に相手すれば、だ」
瞬間、真紅の騎士が炎の剣を構える。そして、
「デッドリーゾーン!」
彼の剣から発せられた衝撃波が、楕円形に広がっていく。不意をつかれたアルサル達は、防御の体勢を取るため、彼に向けていた武器をそらす以外になかった。
その一瞬を、彼は見逃さない。大地を強く蹴り、恐ろしいスピードでエミリアに迫った。
エミリアも瞬時に反応し、剣を構える。だが、それよりもさらに早く、彼の斬撃がエミリアに襲い掛かった。
「エミィ!」
その斬撃が届くより一瞬早く、アルサルの身体が二人の間に割り込む。炎の剣の切っ先が、その左わき腹に食い込み、切り裂いた。
しゅぱっと、鮮やかな朱色の血しぶきが上がる。そして、悲鳴を上げる暇もなく、第二撃がアルサルを襲った。本能的に身体をよじり、急所を避ける。心臓を貫こうとした敵の剣は、わずかにずれてアルサルの左肩を貫いた。
「ぐあぁぁぁぁぁ!!」
焼けるような鋭い痛みに、アルサルが悲鳴をあげる。いや、実際に焼けているのだろう。傷口からは、流血だけではない、熱さを伴った痛みを感じる。アルサルは苦悶の声を漏らしながら、地面に倒れこんだ。
「よくもぉぉ!!」
これ以上はやらせまいと、エミリアが突進する。だが、真紅の騎士は突如反転すると、エミリアのいる方とは逆側に走り出した。その先には……。
「アイスクル!」
ソロンが叫ぶ。同時に、そちらに駆け出していた。
だが、敵の方が圧倒的に速い。みるみるうちに、距離を縮めていく。
後方支援に長けたブルーエレメンタルは、接近戦には脆い。抵抗する間もなく、一閃でブルーエレメンタルが切り裂かれ、消滅する。そして、次の一閃で、アイスクルの身体も正面から切りつけられた。
何が起こったのかさえ、彼には理解できていなかった。胸から腹の辺りまでを切りつけられ、彼は声もなく地面に崩れ落ちた。流れ出した血が、地面に広がっていく。
「5人を一度に相手にする必要などない! 1人ずつ相手にすれば、貴様らを殺すくらいわけもないことなのだ!」
真紅の騎士が地面に倒れた二人を見ながら、狂ったように笑い声を上げる。最早、彼に対抗する手立ては、何も思い浮かばなかった。
第15話 終